「領民にどうやってパンを供給するか?」から始まった森林計画学
―森林計画学とはどのような学問ですか。
森林には「収穫規整」という言葉があります。コントロールする、抑えるということではなく、文字通り、世の中に供給できる量を整えていくということです。持続可能であることを前提として、「どれくらい伐っていいのか」を考えるのが森林計画学です。
森林計画学は、17世紀のドイツやスイスで発展しました。歴史をたどると、もともとは、領民に食べさせるパン焼くために安定的に薪を供給しなければならなくなったことから始まっています。その後産業革命が起き、石炭を得るために穴を掘らなくてはならなくなり、今度は穴を支える木・坑木(こうぼく)が必要になってきました。パンを焼くための薪ならばどんな形でもよかったんですが、坑木となるとまっすぐな形質が求められるようになる。こんな風に、安定的に木を供給するためにはどうしたらいいかを考えてきた学問です。
―歴史がある分野なんですね。日本にはいつごろ入ってきた考え方なのでしょうか。
日本には、明治になってからその考え方が輸入されてきました。
ちょっと時代をさかのぼって話をしますと、鎖国をしていた江戸時代、日本の人口は250年間、ほぼ3000万人から3500万人と安定してきました。このころのエネルギーはバイオマスのみ。つまり、この国の資源で生きていける人口は、実は3500万人くらいということなんですね。それが明治に入ってからは6000万人、昭和に入ってからは1億人を超え、バイオマスエネルギーだけではとても追いつかなくなりました。だから、化石燃料を使って人口を維持してきたんです。
そんな経緯もあって、江戸時代末期から明治にかけて、ほとんどこの国の山は丸禿になりました。森林がなければ、災害も起きやすくなる。それを防ぐために「とにかく木を植えなければならない」という流れが生まれたものの、太平洋戦争時にはさらに多くの木が伐られ、また国土は荒れてしまいました。そのような経緯があって、戦後の日本は「森林を回復させなければならない」という思いを強く持ったまま、今に至っています。
―今、日本の森林や林業はどういう状態なのでしょうか。
この国の森林は今、史上最も豊かな状態にあります。それは木を植えてきたというだけではなく、海外から多くの木材を輸入してきたので、森林をあまり伐らなくてよくなったんですね。だから、今日本には「自国の森林を使う」という発想がなくなってきています。
今、日本の森林は、伐採できる状態の木が半分以上を占めるまでの状態になってきました。ところがここ30年~40年間、森林林業関係者は木を育てることにのみ注力してきたので、伐採して木材を生産するという本来の生業を忘れてしまっているんですね。
林業界は皆、「林業は補助金がなければ成り立たない」と信じています。私は考え方を覆して、林業を自立した産業にしていきたい。そのために、ICTの活用や低コスト林業の研究を進めています。
森林資源・作業・流通の見える化により、日本の林業を変えたい
―先生が「林業を自立した産業にしたい」と思うようになったきっかけはなんですか。
私は、鳥取県の田舎の出身なんです。鹿児島県でもそうですが、人口が減った田舎では学校が廃校になり、病院が減り、人口が減り、仕事がなくなり、人口はさらに減っていく。日本ではそうやって、人口空白地帯が増え続けています。だけど、収入が得られる仕事さえ成り立てば、どんなに田舎でも人が暮らし続けることができるんじゃないかと思っていて。林業にはその可能性があると考えています。「林業ではご飯は食べられない」と思いこんでいる業界関係者に、「こうしたら林業でもちゃんと稼げる」というメッセージを発信し続けたいんです。
―具体的にはどのような研究をされているんですか。
ほかの一次産業同様、林業は今も経験と勘に基づいて行われています。マニュアル化されていないし、数値化されていない。「見て覚えろ」というやり方を続けてきた業界です。そこに、まずは“見える化”を導入しようとしています。森林資源の見える化、作業の見える化、流通の見える化……。そうやって、この国の林業を変えていきたいと思っています。
森林資源の見える化については、技術が進んで、地形が非常に精密に取れるようになり、いまや森林に生えている木の高さや本数までわかるようになりました。また、さまざまな角度から撮った写真から3次元化する技術も進んでいるので、ドローンで撮った画像を基に3次元の森林データを作ることができる。つまり、こんな地形の上に、こんなサイズの木が立っているというのを最新の映像として再現することが可能です。
それから、森林内で携帯電話を使えるようにするための研究も進めています。
「なぜ携帯電話?」と思われるかもしれません。背景には、林業で命を落とす林業従事者を一人でも減らしたいという思いがあります。林業は労働人口が4万人しかいない業界なのに、伐倒した木に押しつぶされるなどの事故により、毎年40人もの方が業務中に亡くなっているんです。千人に1人が亡くなるという環境の中、みんな命がけで木を伐っています。携帯電話の話に戻しますと、この国の森林の半分は、携帯電話の電波の不感地帯。つまり、森林内で事故が起きたとき、すぐに救急車を呼ぶことができないんですね。だから、なんとかして森林で携帯電話を使えるようにしたいと思っています。
携帯電話の電波は、森林の地上では入らなくても上空なら入ります。ということは、携帯電話を上空に移動させればいいんですが、それは携帯キャリアの会社だけが「特別な申請をして、許可が下りれば可能」ということになっています。そのため、今は携帯キャリアの会社の協力を得ながら一緒に研究を進めているところです。
―林業も担い手不足が深刻かと思います。限られた担い手の中で、林業を盛り上げていくためには、何が重要になるのでしょうか。
今は全産業で人が足りませんから、林業の担い手が増えるなんて甘いシナリオは考えにくい。林業を産業として成り立たせるためには、一人当たりの生産性を上げるしかありません。そのためには機械化やスマート化、見える化を進める必要があります。現物を見ることを基本としてきた木材の競りにも、ウェブ上にアップロードされた写真を見て値をつける入札システムが入ってきました。現在岩手県で導入され、島根や山口からも入札がある状態です。
ヨーロッパでは、機械で生えている木をつかんでそのまま切り、玉木(丸太)にしていく機械の導入が進んでいます。日本でもこのような機械をどんどん導入していかないと、生産性は上がらない。しかし、このような機械が、急な斜面が特徴である日本の森林に入るかというと難しい面があるのも事実です。ただ、最近はニュージーランドも斜面に森林ができてきて、日本とほぼ同じような条件になっています。そのニュージーランドでも事故の多さが問題になったのですが、斜面も使える機械を開発してきた結果、事故は大幅に減少しました。
日本はニュージーランドよりも、斜面での林業の歴史は長い。斜面でも安全で生産性が高い林業を実現する先駆者になるべきだったのに、「傾斜地だからできない」と言い続けてきてしまった。産業界だけではなく、私たち研究者もその状況を悔しく思い、巻き返していかないといけない時代に来ています。
大学は、社会人教育を通して“課題”のありかを知ることができる
―大学が社会人教育に取り組む意義をどうお考えですか。
現在、多くの市民の方は、鹿児島大学を訪れることに高いハードルを感じていらっしゃるように感じます。「そんなことで行っていいんですか」と言われることも多いです。大学では今、社会人に対して、公開講座、公開授業、履修証明プログラム(職業能力証明)、社会人院生などさまざまなチャンネルで教育を提供しています。多くの市民の方々が鹿児島大学に対して、卒業生のような意識を持っていただければ、もっと気軽に訪れられるようになると思うんですね。
我々は地域の皆さんとつながり、いろんな話をしていただけるようになって初めて、いま起きている地域の課題を知る。それがきっと、新しい研究のテーマになっていくんです。大学は社会人教育を通して、課題のありかを知ることができるようになるんだと思います。
―公開授業に興味を持っている方へのメッセージをお願いします。
20世紀が終わりもう20年が経ちますが、21世紀は環境の世紀だと言われています。身近な問題でいうと、ガソリン車は10年後にはなくなるかもしれません。我々のような20世紀から生きてきた人間からしたら、時代がどこに向かって進むのかがわからなくなっています。
今回の東京オリンピック・パラリンピックでも「多様性」がキーワードになりました。社会全体が、多様な考え、価値観を尊重しようという考え方になっていて、従来我々を縛ってきた空気が変わってきている気がしています。新しい発想でものごとに取り組んでいくためには、やはり学びが大事だと思います。「自分の殻を破りたい」と思っている方にとって、公開授業が一つの機会になることを願っています。