Vol.2
INTERVIEW

かつて学んだ
歴史観とは
異なる見方、解釈に触れる

~ユダヤ人とキリスト教徒との「共生」とは

藤内 哲也

副学部長、教授/法文学部 多元地域文化コース

西洋史を専門とする藤内哲也先生の公開授業は、リピーターが多い人気講座の一つです。そんな藤内先生が今研究テーマにしているのは、近世イタリアにおけるゲットーとユダヤ人。これまで「差別・迫害された民」というイメージが強かったユダヤ人の姿を、キリスト教徒との「共存」「共生」という側面からひも解いています。「歴史は学びなおすことで、かつて学んだ歴史観とは異なる新しい見方、新しい解釈に触れられるのが面白い」と語る藤内先生。日本で外国史を研究する意義についても伺いました。

プロフィール

藤内 哲也

福岡県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程学修退学。京都大学博士(文学)。 専門分野は、西洋史、近世イタリア史、ヴェネツィア史。研究内容は、近世イタリアにおけるゲットーとユダヤ人・近世ヴェネツィアの権力構造・中近世イタリアの都市社会。学生時代に友人といったヨーロッパ旅行で、「水の都」ヴェネツィアに関心を持つようになり、16世紀を中心とする近世の社会構造や権力構造の変容のプロセスについての研究を始める。中近世のイタリア諸都市における「祭り」と、その背景にある人々の結びつきや共同体のあり方についても調べている。

イタリアが世界史の教科書に登場しない空白期間。そこでは何が起きていたのか?

-先生の専門分野について教えてください。

藤内 僕自身が専門にしているのは、16世紀を中心とした近世、イタリア史で、その中でもヴェネツィアの歴史を中心にしています。

-ご専門として、西洋史、中でもイタリア史を選ばれたのはなぜですか。

藤内 最初は日本史を学びたいと思って大学に入ったんですが、結局ヨーロッパ史を専門にしたのはちょっとした気の迷いというか…。

世界史に本格的に触れたのは大学浪人時代。受験科目として社会科が二つ必要になった関係で、勉強が必要になったんです。大学に入学してからは、しばらくテレビがなかったので、それまであまり読んでこなかった岩波文庫のヨーロッパやアメリカの文学などを読み始めて、おもしろいなと思うようになりました。大学3年生で専門を決めるときに、第一志望に西洋史と出したのが始まりですね。

イタリアが、世界史の教科書でまず出てくるのは、古代ローマを除けば、中世です。都市国家が繁栄し、その延長上にルネサンスがあります。その後、教科書にはしばらく登場せず、次に出てくるのは19世紀。ドイツや日本と同様、国家統一が遅れ、急いで近代化を進めようとする姿が描かれています。要するに、イタリアは、中世、ルネサンスの頃は世界をリードしていて、文化や経済や政治についても大きな影響力を持っていたのに、次に教科書に出てくるときは、イギリスやフランスに大きく水をあけられて、“劣等国”になっている。世界史の教科書にはほとんど触れられていないこの間に、いったい何があったんだろう。そこに興味を持ちました。

イタリア、特にヴェネツィアを選んだもう一つの理由は、大学時代の春休みに友達とヨーロッパに旅行に行ったときに、ヴェネツィアが一番自分にしっくりきたんです。僕は福岡出身なので、もしかしたら港町や自治都市という共通点から、親近感を持ったのかもしれません。

-藤内先生のお話を伺っていると、世界史の教科書に触れられていない期間に興味がわいてきますね。イタリア史の研究は盛んなのでしょうか。

藤内 イタリア史研究は、やはり古代ローマ、中世ルネサンス、あとは近代の統一からそれ以降に集中しがちです。

そもそも日本では、美術史や建築史だとイタリアは一つの立派な分野ですが、歴史学でイタリアを取り扱うということはあまりなかったんですね。大学の文学部系の西洋史研究では、英仏独の歴史や近代史が主流で、イタリア史の教員はほとんどいなかったと思います。いま70代前半くらいの方が、イタリア史を教える大学教員として初めて職を得られた世代だと思うんですが、当時は周囲から「なんでイタリアなんかするんだ」「何の意味があるんだ」と言われたとか。

近代史ではイギリス・フランスが近代化の成功モデルで、ドイツが失敗モデルとされています。イタリアも失敗モデルと言えますし、かつて日本と同盟を組んでいたので、近代史については日本でも多少関心があったと思うんですが、前近代の研究はあまりされていなかったんです。僕のもう少し上の世代くらいから、関心の多様化も進み、イタリア史が比較的活発になってきました。

-西洋史を研究する上で、鹿児島にいることがデメリットになることはないのでしょ うか。

藤内 確かに、大都市圏の方が、研究者の数や研究会の機会が多いということはありますね。僕も院生のときからいろんな研究会に参加して、同世代の院生と情報交換したり、さまざまな先生と知り合いになったりして、知見を深めたり刺激をもらったりしてきましたから。しかし、今の時代、出張して参加することもできるし、インターネットを使えば見ることのできる資料も増えてきた。それにプラスして、今は新型コロナウイルス感染症流行の関係で学会もオンライン開催になってきているので、地方にいるデメリットはだんだんなくなっている感じはします。

“差別される民” であるユダヤ人。 でもそれ以外の側面もあったはず

-先生が西洋史の研究を続けるモチベーションは何でしょうか。

藤内 やはり、新しい見方、新しい解釈ができるようになるのが面白いですね。

僕は今、ユダヤ人をテーマに研究をしています。日本ではユダヤ人といえばナチスによるホロコーストのイメージが圧倒的に強くて、多くの人がユダヤ人に対して、いわゆる“差別される民”という印象を持っています。もちろん、それ自体は間違ってはいないんです。でも、ヨーロッパや地中海世界で、キリスト教徒とユダヤ人は2000年近くにわたって、ある意味では一緒に暮らし続けてきている。差別・迫害が強まる時期はありますが、かなりの時期は、鍵カッコつきで「共存」「共生」している時代だと思うんです。それはなぜかということを考えていきたい。

もちろんそれは近代的な意味での平等な共存ではないんだけど、そもそも前近代時代は、身分、宗教、職業などに基づいて社会集団がつくられて、それぞれに対して一定の権利が認められ、義務が課されてきました。ユダヤ人も言ってみればその一つ。ナチスの時のようにユダヤ人だけが権利をはく奪されて迫害されるのではなくて、近代世界においては、ユダヤ人にも一定の権利が認められる代わりに、義務が課されていた。その時代の実態はどうだったのか?ということですね。

16世紀の終わりから17世紀にかけてヴェネツィアにいたユダヤ人、ラビという宗教的指導者であったある人物の自伝を読んでいたら、いろんな発見がありました。

その人はイタリア生まれのユダヤ人で、イタリア語、ヘブライ語はもちろん、ラテン語も学んでいる知識人です。自分がシナゴーグと呼ばれるユダヤ人の礼拝所で説教していると、聞きに来ていたキリスト教の聖職者や貴族から褒められたり、称賛されたりしたということを、謙遜しつつも誇らしげに書いています。ユダヤ社会にいて、ゲットーの中で暮らしていますが、その中でのユダヤ人同士のトラブルに巻き込まれたとき、自分のことを懇意にしてくれているヴェネツィアの有力貴族に相談に行き、間に入ってもらって、和解しようとしています。一種のパトロネージ(保護-被保護関係)みたいなものを受けているんですね。

ほかにも、フランスから来たキリスト教徒にユダヤ教について教えたときに、「わかりやすく書いたものが欲しい」と頼まれたので、手書きのものを渡したら、パリで勝手に出版されてしまった、というエピソードも出てきます。当時は書物の検閲制度があり、「キリスト教を批判したとして、罪に問われるのでは」と彼はすごく心配するんですよ。そしてどうしたかというと、彼はヴェネツィアの異端審問官のところに相談に行く。「この人は自分のことをよく理解してくれているから、いっそのこと自分から赴いて相談しようと思った」という記述があって、実際、罪には問われていません。

そういう当時の記録を読んでいくと、確かにこの人は有名な知識人だという特殊性はあるんですが、ユダヤ人もゲットーの中だけで社会が完結していたのではなく、いろんな形で外との接触や交流が図られていたことがわかります。もちろん場合によってはトラブルが起きたり、摩擦が生じたりもしている。でもそのトラブルは必ずしもユダヤ人対キリスト教徒ではなくて、ユダヤ人同士でも起こり得ることだし、キリスト教徒の中にもユダヤ人に関する意見の対立はあった。非常に複雑な関係性の中で共存していたんですね。

多文化共生というのは、現実社会の中でさまざまな感情を抱きつつも、なんとか折り合いをつけている関係性での共存というのが一般的だと思うんです。まさにそうした状況が16世紀のヴェネツィアでも生まれていたということです。

今までユダヤ史というのは、ユダヤ系の研究者が、自分たちがどれだけ差別迫害されてきたを強調する側面が強かった。それが、ある程度時間がたってきたことで、過去のできごとを客観的に眺めることが可能になり、それを表明することがやっと許されるような状況になってきました。偉そうな言い方をすれば、僕らは第三者として外国史を学んでいるから、当事者ではない分、どちらかに肩入れせずに、客観的にみられる可能性が開けてくる気がするんですね。

公開授業で新しい知識、 考え方を知る楽しみを味わってほしい

-先生の公開授業は人気だと伺っています。講義ではどんな内容について話をされているのでしょうか。

藤内 前期の西洋史概説は教職科目にも入っている講義なので基本的に毎年同じ内容ですが、後期はリピーターの方も楽しめるようにテーマを変えて、3~4年のローテーションを組んでいます。ユダヤ人をテーマにする年もありますよ。

-公開授業生はどんな方が多いですか。また、どんな反応がありますか。

藤内 リタイヤされた年齢の方が多いですが、40 ~ 50 代の方も一定数いらっしゃいます。 リピーターの方も受講生の半分くらいでしょうか。歴史は多くの方が学生時代に学 んだ経験があると思いますが、再度学びなおすことで、かつて習った歴史観とは違 う見方を知ることができます。 うちの娘が通っていた小学校で校長をされていた方も、定年退職後に 5 ~ 6 年続け て受講されていましたが、その方からは「学びの機会を与えてくれてありがとう」 と言われました。僕の講義だけではなくて、毎年さまざまなテーマの講義を選んで 受けているという方もいます。公開授業が、学びや学び直しのきっかけになってい るようです。

-大学が公開授業を開く意義は何でしょうか。

藤内 大学は、以前はどちらかというと閉ざされていて、上の世代の先生方の中には、一般向けの本は書かないことを良しとする先生方もいらっしゃいました。しかし、大学自体が大衆化してきていますし、今まで問われなかったような「存在意義」「研究の意義」を説明しないといけない時代になっています。

大学は、研究者にせよ図書館にせよ、知的な資源がある場ですから、その資源を地域にさまざまな形で利用してもらうことが今後ますます必要になってきます。そういう意味では、鹿児島大学は街の中という非常にいい立地にありますよね。

-公開授業に興味を持っている方にメッセージを。

藤内 社会に出てから「もっと学びたい」と思う方にとって、大学に入ったり、大学院に進学したりする選択はありますが、時間もお金もかかります。公開授業で毎期一つずつ、自分の好きな科目を受講するのも一つの学びの方法です。学生の頃は「単位を取らなきゃ」「卒業しなきゃ」と思いながら義務感で講義に出ていた方も、本当に学びたいものを学べるチャンスかもしれません。

また、交友関係が広がっていく場にもなっているようです。僕の講義でも、公開授業生同士で仲良くなって、ランチに誘い合っている姿も見かけますし、中国からの研究生が公開授業生に日本語を教えてもらっているということも聞いています。

自分が知らなかったことや、自分にはなかった考え方に触れたりするのは、いくつになってもやっぱり楽しい。そういう楽しみをぜひ味わっていただきたいです。

(インタビュー実施日:2021/3/1)

 

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